学び続けること
「勉強しなさい」
誰もが必ず言われた、この言葉。
でも、どんなに言われてもやらないんですよね。
それは勉強する理由がわからないから。
大人になった今学生時代を振り返ると、
あれもこれも、もっとしっかり勉強しておくんだった
と後悔しかありません。
私の場合、それは英語なのですが…。
一生海外に行くことはない!と試験に出る最低限のことしかやりませんでした。
しかし数年後、グローバル化という言葉とともに英語は話せて当然の社会が到来するのです。
私も海外研修の引率を頼まれ、YESのみで過ごす恐怖の研修期間を過ごしました。
その時は、「みんなの研修だから私は英語を話さない」とそれっぽい言い訳をしていましたが、やっぱり楽しそうにコミュニケーションを取っている子どもたちを見ると羨ましくて仕方ありません。
そんな苦い経験を大人は繰り返しているわけで…。だからこそ、思う存分学べる子どもたちに「勉強しなさい」と口酸っぱく言うのですよね。
でも、悲しいかな、その思いは届かないのです。
我々が子どもだったときそうだったように、今の子どもたちにも口うるさい小言でしかありません。
ならば、伝え方を変えなければいけません。
考えた末、私がたどり着いた結論は自分が学んでいる姿を見せることでした。
何事も口だけで行動が伴っていなければ、説得する材料にはなりません。
一緒の検定を受けたり、小テストを受けてみたり。
先生も勉強してるなら、自分もやらなきゃな…。
1人でもそう感じてくれれば、作戦は成功です。
大人としては、なんでもできるスマートな姿を見せたいところですが
失敗して間違えて、そこからまた勉強して、這い上がって
そんな泥臭い姿を見せることが、子どもたちの頑張る一つのきっかけになる気がしています。
私が先生になった理由
私は勉強が好きな子どもでした。
それは私の興味を潰さずに、一緒になって学ぼうとしてくれた両親がいたからです。
自分が知らなかったことを知ることができる。
できなかったことができるようになる。
そんな喜びを幼いころから経験していたからか、勉強に対してもネガティブな印象を抱くことなく取り組むことができました。
勉強好きな自分が少数派だと気づくのは、中高生になってから。
勉強に嫌悪感を持つ同級生を見て、なんてもったいないことをしているのか、と憐れみの目で見ている私がいました。
同級生からしてみたら、上から目線の嫌なヤツだったことでしょう…。
さて、転機は高校2年生のときに訪れます。
友人と試験勉強をしているとき、私が解き方を説明したことがありました。
「わかった!!」
と次の問題に挑戦する友人を見て、ピンときたのです。
「知らないことを知ることができる喜び」を私が伝えていけばいいのではないか?
そこからは、一切の迷いもなく教師への道を突き進みました。
今でも「知ることの喜び」を伝えるとこは、私の信念の一つです。
1日目
はじめまして。
「おはな」と申します。
これまで教員としてたくさんの生徒たちと関わってきました。
どの子も忘れがたく、大切な大切な子どもたちです。
もちろん楽しい思い出ばかりではありませんが、
苦しかった日々も今日の私が存在するうえで欠かせない経験です。
そんな経験を共有することで誰かの背中を押すことができれば、
とブログを開設いたしました。
つたない文章かもしれませんが、暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。